もちどらどっとこむ

24歳で株に手を出して29歳で脱サラした30歳子持ち元マンデベ社員が不動産やマネーのお得な話や仕事や副業について語る読むマネー系ブログ

普通のサラリーマンだった私が、副業で株をやって稼ごうと決意した理由

time 2017/01/09

はじめまして。もちどらです。

副業について、考えたことはありますか?

私は新卒で会社に入ってサラリーマンになってから、2年間は副業なんて全く考えたことはありませんでした。

そりゃあ給料をもっと欲しいとは思いましたし、仕事がきついから辞めたいなと思ったことはありますが、正直新卒で年収400万円もらえてましたから、大学生の時のバイト代と比べれば高額で、給料だけでそこそこの暮らしができていました。ですので、何の疑問を持つことなく、給料で満足していました。

あのままそこそこの暮らしを謳歌していたら、おそらく私が副業をすることはなかったでしょう。

仕事はそれなりにきついしストレスも溜まりますが、今思えばぬるま湯のような生活でした。同期入社した人たちも、実家暮らしで手取り22万円くらいですから、お金は溜まる一方。学生時代では買えなかったようなブランド物を買ったり、おしゃれなお店で飲み食いしたり、パチンコに行ったり、女の子がいるお店に行ったりしてました。2010年新卒入社ということで、ちょうどフェイスブックのはやり始めの時期でしたので、みんな金を使ってリア充アピールを競い合いました。

私が彼らと違ったのは、新卒1年目で結婚をし、妻と2人暮らしをしていたことです。お金を使いまくる実家暮らしの同期をよそに、家賃やら光熱水費やら、食費やらを出す必要がありました。地方出身者や単身赴任者などは社員寮や住宅補助が出ますが、私は自分が好きで嫁と同棲を始めたので、実家を出たことによってかかる費用はまるまる自分にのしかかってきました。同期が社会人になって覚えたお金のかかる遊び(風俗やキャバクラ、ゴルフなど)を覚えずに済んだのは、当時は若干のうらやましさがありましたけれども、今思えばよかったと思います。

2人暮らしのいわゆるDINKSでしたが、家賃は都内で9万円、光熱水費とネット代3万円、食費とあとは外食が多くて、正直貯金はほとんどできませんでした。

妻は1歳下ですが、大学生時代はバイト、無事に就職して正社員一般職として働き始め、妻と二人、2馬力で生活していきました。もちろん贅沢はできないですが、それでも人並み程度には人生を謳歌していたと思います。

そんな生活が一転したのは、社会人2年目、妻の妊娠が発覚した時でした。

妻の妊娠を聞き、はじめは無邪気に喜びました。白黒のエコー写真で、これが心臓ですよといわれた黒い点を見て、浮かれきっていました。24歳で父親になることに少し不安を覚えながらも、ただただ嬉しくて、子供が無事に生まれることを祈る日々でした。

ですが、妻の妊娠によって、多くの問題が降りかかってきました。

一つは、毎月の検診。赤ちゃんがちゃんと育っているかどうか、母体が健康かどうかを病院で毎月チェックし、心音を聞いたりエコー写真を取ったりしますが、これが一回1万円程度。妊娠は病気ではないので、保険は使えません。始めていった時のお会計の際に、目の前のおじいさんが無料だったのに、自分たちの時に1万円の請求画面が出たのを忘れられません。また、妊娠が進むにつれ、頻度が月1回だったものが月2回に増えていきます。

2つめは、妻が働けなくなったことです。よく通勤電車で、マタニティマークを付けた女性を見ます。それまでは妊娠したんだ。ふーん程度に思っていましたが、妊娠による負担は予想より大きいもののようでした。もちろん個人差もあるでしょうが、妻の場合、妊娠3か月目程度から、つわりがひどく仕事ができなくなりました

会社員の女性には産休制度があり、出産予定日の6週間前から、出産日の8週間後まで休むことができます。そして、条件を満たせば標準報酬月額の67%(当時は50%)が手当として支払われ、仕事を休んでいてもある程度の所得保証がなされます。しかし、我が家の場合はそれよりも前に妻が休職したため、妻の収入はゼロになりました。社会人になって、結婚してから妻と2人、DINKSとして2馬力でやってきた家計を、私一人で回さなくてはならなくなったのです。いままで私の手取り22万円と、妻の手取り14万円の2馬力計36万円で回していた家計を、私だけの1馬力22万円で回してゆかなければならなくなりました。金額にして14万円、割合にして30%超の削減を迫られることになりました。

追い詰められてまず初めに考えたのは、固定費の削減です。出産に備え引っ越しをしました。産前産後で妻の援けになるよう、妻の実家の近くのアパートに引っ越しました。当時、都内の築2年、京浜東北線駅徒歩8分の1DKで9万円アパートから、千葉の築30年の駅徒歩15分の2DKで4万6千円のアパートです。住宅としての快適性や利便性、どれをとっても生活レベルは甚だしく低下しました。周囲は母子家庭や夜歌いだす学生など、住民の質も高いとは言えず、その落差に愕然としました。しかし、そのまま引っ越しをしなければ、家計破たんは火を見るよりも明らかでしたので、意を決して、引っ越しをしました。新居となった古アパートはインターホンはおろか洗面所すらありませんでしたし、風呂を張るのも蛇口をひねる必要がありましたが、家賃が9万円から4万6千円になったことは大きかったです。削減効果は4万4千円。毎月の支出を4万4千円抑えるということは、4万4千円を余計に稼ぐことと同じです。

いろいろと固定費の削減を行い、いわゆる節約をたくさん行いました。妻は妊娠でつらい中で、妻に余計な心配をかけさせるわけにはいきませんでした。お互いの実家も、お金の面で頼るわけにはいきませんでした。お金の部分は私だけで、孤独ですが自分一人で何とかしなければなりませんでした。

私の勤めている会社は、かなり安定している企業ですが外資系ではなく日本の企業です。ですが新興企業の資本が入っているため、次のような特徴がありました。

年功序列…同じ仕事をしていても、勤続年数が長いほうが基本給が高く、年次の浅い人は基本給が低い。賞与も基本給に連動する。

福利厚生の削減…家族手当、扶養手当といったものはなく、年次が同じなら独身・既婚、子供の有無は関係なく一律おなじ基本給。

・インセンティブがない…個人が上げた業績がよかろうが悪かろうが、さほど賞与に差が出ない(出ても10数万円程度)

この条件の中で、支出の削減だけでなく、収入の増加を考える必要に迫られることになりました。妻のおなかが大きくなるたびに、喜びも大きくなる一方で、お金に対する不安も大きくなっていきました。ですが、この問題に対処できる人間は私しかいませんここまで追い詰められたことで、私はサラリーマンをしつつ、副業で稼ぐことを決めるに至ったのです。

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